2023/03/13 10:43


マッサマンカレーのルーツ

マッサマンカレーは、タイ語でゲーン(ケーン)・マッサマンといいます。ゲーンは汁物、マッサマンはイスラム教を意味するので、「イスラム教徒のスープ」ということになります。実はタイでは有名ではなかったマッサマンカレー。タイ南部に住むマレー系住民が食べてきた料理です。アメリカのCNNgoという人気情報サイトが2011年に発表しはじめた、「World's 50 most delicious foods.」(世界で最も美味な料理ランキング50)の初年度に一位を獲得したことがきっかけで注目されるようになりました。

この料理は、17世紀にアユタヤ王朝を発展させ黄金期を築いたナーラーイ大王の時代にペルシアから来た商人たちによって伝えられたのがルーツとされています。ナーラーイ大王はイギリスやフランス、オランダやギリシャなどヨーロッパの国と交易したり、宗教や文化を取り入れたりしつつ、周辺諸国との貿易も積極的に行いました。そのため、タイ王国で大王(マハーラート)の称号で呼ばれる7人のうちの1人になっています。

一方、ペルシア(現在のイラン)は16世紀末にアッバース1世がイラン人の国家としてサファヴィー朝をつくり、イスファハーンに遷都しました。その後、イスラム教徒に改宗しサファヴィー朝に保護されたアルメニア人が商人としてイランを中心に中国やヨーロッパ諸国を結ぶ絹交易などを発展させていきました。

ただし、同時にこの時代、サファヴィー朝の東側にはムガル帝国が勢力を広げていて攻防を繰り返していたため、陸路でタイに直接行くことは難しかったと思われます。また、シルクロードは中国の長安と結ぶ4つのルートが遥遠くを通るルートで、西側から向かうと大山脈をこえなければなりません。

そのようなこともあり、ペルシアやアラブ・インドの商人たちは、中国との交易ルートとしてマレー半島とスマトラ島の間に位置するマラッカ海峡を海路の要衝と位置づけてきました。14世紀末に成立したマラッカ王国は、1414年にパラメスワラ国王が西側諸国との交易を発展させるためにイスラム教に改宗しイスラム国家になり、マレー系の支配階級にイスラム教が普及しました。その後、1511年にポルトガルに制圧されてイエズス会の拠点になった時に王家がマレー半島南端のジョホールに逃れ1528年にジョホール王国を成立させました。(1545年にフランシスコ・ザビエルがマラッカに初めて寄港し、布教活動をした記録があります。)その後、ポルトガルを退去させるためにオランダ東インド会社と結託して戦い、マラッカは1641年にオランダによって占領されました。しかし、ジョホール王国はマラッカ海峡両岸(現在のマレーシア、シンガポールおよびインドネシア)におよぶ海上帝国を築いていたため、ヨーロッパによる支配は一部に留まっており、実質的にはジョホール王国によって支配されていました。

16世紀にイラン人の国家としてサファヴィー朝が成立するが、ここからはイスラム教シーア派国家として独自の道を歩み、西のオスマン帝国、東のムガル帝国というスンナ派イスラム教国と抗争を続ける。
アッバース1世 ・・・ イランのサファヴィー朝全盛期のシャー(王)。シャー=アッバース、アッバース大帝とも称される。在位1588~1629年。1597年、イスファハーンに遷都する。オスマン帝国からバグダードを奪い、ホルムズ島からポルトガルを駆逐した。

アルメニア人は建築家として紀元前から著名でアーチ建築様式はその独自の技術である。また商人として各地で活躍した。特にイランのサファヴィー朝では、シャー=アッバースアッバース1世のもとでその堅固な中央官僚制度を支えたのはイスラム教に改宗したジョージア人とアルメニア人であった。アルメニア人は新首都イスファハーンでも新ジョルファという町を形成し、シャーの委託を受けて中国・イラン・ヨーロッパ諸国を結ぶ絹交易を独占し流通経済に大きな役割を果たした。サファヴィー朝の保護を受けたアルメニア商人は絹交易の独占権やキャビアなどの商品で利益を上げ17~18世紀に活躍したが、18世紀末にサファヴィー朝が弱体化してその保護を失うと各地へ散ってゆき、最富裕層はインドに移住してイギリス東インド会社と関係をもつようになった。

世界一美味しい料理に選ばれたタイカレー

タイの中でも特に南部の、イスラム教を信仰している人々が食べていたとされるゲーン料理の一種(マッサマンは「イスラム教の」の意味)。ハラルの規律に従うため、豚肉の代わりに鶏肉や牛肉を使うことが多く、ココナッツミルクやピーナッツのほか、カルダモン、シナモンといったスパイスを用いて作られるため、辛い味が多いタイカレーの中で甘い味わいなのが特徴だ。2011年にアメリカの人気情報サイト「CNNgo」が「世界で最も美味しい50種類の食べ物」を発表し、1位がマッサマンカレーだったことから徐々に注目を集め、日本でも食べられる店が増えてきている。

タイ本国では知られていない、マニアックなカレー

世界的に知名度が上がりつつあるマッサマンカレーですが、現地のタイ人にはあまりなじみがありません。そもそも、マッサマンカレーはタイ南部のイスラム教を信仰している人々が食べていた「ご当地カレー」なのです。宮廷料理として親しまれてきた経緯はありますが、タイ北部や中部ではこれまであまり知られてない状態でした。使われているスパイスにはタイ人には、あまりなじみがないものも多く、今まで広まってこなかったのでしょう。「世界で一番」と評価されているのに本国ではマニアック。このようなミステリアスさもマッサマンカレーの魅力のひとつなのかもしれません。

マッサマンカレーってどんな味がするの?

マッサマンは濃い赤褐色の濃厚なソース。肉は柔らかく、スープは肉に浸みこんでいます。タマネギとジャガイモは柔らかくなるまで煮ます。味はよくブレンドされていて、甘さが主役ではありません。心地よい香りがします。マッサマンはもともと、ナライ王の治世中にタイに来たペルシャ商人によってペルシャ (イラン) からもたらされました。強めのスパイスが好きな方に人気です。美味しいマッサムンは、酸味、塩味、甘味の3つの味がうまくブレンドされていなければなりません。

おいしいマッサムンを作るには、料理人の才能が必要です。
ご飯のおかずはもちろん、トーストにのせても美味しいマッサマン。マッサマンソースが余ったら、ポークやビーフのサテに。
マッサマンがタイに渡ってきた時、ビターオレンジ(芳香のあるオレンジ)を加えて味を改善しました。